きえたくない。ふるり、と空気を震わせたその一言は確かな実感をともなって私に届いた。 なんてひどい世界。縋りつきたくなるようなあまい夢を見せたくせに、なに食わぬ顔でまた悪夢に突き落とすなんて。 ようやく感じた生の喜びも幸福も、すべては泡沫。死という鋭いナイフが見えなかっただけ。
けれどそれが現実で、世界で、すべてだった。

泣きたいのは私じゃない。泣いているのも私じゃない。
だから隣で俯くルークの姿がよく見えないのは、きっと、少し疲れているだけ。

どんなに優しい言葉をかけても、うまく慰められたとしても、結局それは気休め。
逆に言葉をかければかけるほど冷たい事実を突き付けてルークを追い詰めてしまうだろう。



「・・・ごめん、こんなことに言っても困らせるだけなのにな。」

「違う、よ。本当に困るのは、困っているのはルークでしょう。」

「だって、」



泣いてる。

違うの、そんなことない。ルークがじっと涙を堪えているなら、私だって我慢できるよ。 そう言って笑えばいつもルークは笑い返してくれたから、きっと少しだけ仕方なさそうに微笑み返してくれると思ったのに。 違った。痛そうに顔を歪めて、やっぱり涙をこらえていた。うまく笑えていなかったのかな、わたし。



「いいんだ、。泣きたいときは泣いても。」

「そんなことないってば。」

「じゃあ俺も我慢しないから。」

「・・・っ、」



どうしてそんなに優しいの。今まで辛そうなそぶりを見せなかったのは崩れそうな自分を叱咤するためでしょう? こんな直前になって虚勢をやめれば、もっともっと悲しくなってしまうのに。 いつだってルークは優しすぎる。その優しさから、ルークからもう離れられなくなってしまって、近い未来に訪れる別れがどうしようもなく怖い。
怖い。怖い。


「ルー、ク」


ぽつぽつと落ちる雫でスカートに染みを作る私を、何も言わずにルークは包んでくれた。 目の前の体温はこんなにあたたかい。それでも微かに震える腕は、肩口に感じる吐息は、このオールドラントの大気に消えてしまう。 こんなに強く抱きしめても、いずれはするりと。 神様なんて信じていない。けれどこの時ばかりは祈らずにはいられなかった。 お願いだから私から、この世界からルークを奪わないで、神様。どうか、どうか。

そのとき初めて押し殺した嗚咽が混じりあって、ルークも泣いているのだと気付いた。 本音が吐き出されていくようにだんだんその声は大きくなり、回される腕にも力がこめられていくのを感じる。 それが余計にわたしを揺さぶって、どうしたらこの気持ちはおさまってくれるのかも分からずに、その晩は疲れ果てるまで涙を流して泣きじゃくった。




***




やけに重い瞼を押し上げれば、陽ざしが広がる。 寝起きの目には強すぎた光に一瞬目を閉じ、もう一度ゆっくりと開けばもう朝だということに気付いた。 視界をかすめた緋を追えば、そこには穏やかに眠るルークの姿。昨日の夜のことなんて嘘だったみたいで、口元には笑みさえ見えた。 起こさないようにそっと頬に手を添えれば、幸せそうに眉を下げる。なんだか本当に年相応にみえた。

この平和な朝を、あと何度迎えられるかな。

たとえ君が澄んだ空気に溶けゆくとしても、せめて今は。
今だけは儚いながらも鮮烈なきみを焼き付けさせて。
雨が晴れたら思い出の君ときっと笑えるようになるから。










 祈りの虹
     (掴めないなんて知っているのよ)

2012.5.16

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