ついてない。本当に。
ぽつりと出てきた言葉に答える人はいない。
しんと静まり返る図書室の冷たい空気の中に消えただけだった。
放課後の図書当番はもちろん委員会の仕事だし、仕事自体にも不満を零す気はないのだ。
けれどよりにもよって今日なんて。神様がいるのだとしたらなんて意地悪なのだろう。
12月24日。クリスマスイブ。そして何より、の想い人「越前リョーマ」の誕生日。
残念ながらその越前くんとはこれといって親しい関係にある訳ではなかった。
強いて言うなら委員会が偶然にも同じだったくらいだ。
そんな彼を知るきっかけとなったのが越前くんと同じクラスの女友達、女子テニス部所属の竜崎桜乃と自称リョーマ様親衛隊長の小坂田朋香であった。
桜乃ちゃんと朋香ちゃんに連れられて見に行ったテニス部で、真剣な眼差しでボールを打ち返す越前くんから目が離せなくなった。
越前くんのお陰か、すっかりテニスに魅了されてしまった私はその日以来よくテニス部を見学するようになっている。
勿論中でもテニスをする越前くんが一番格好良いと思ってしまったけれど。
「はああ…。」
ため息だってつきたくなる。
せっかくお祝いの言葉でもかけに行こうかと思っていた矢先に図書当番が回ってきてしまったのだから。
桜乃ちゃんも朋香ちゃんも今頃プレゼント渡してるのかな。それともおめでとうって言うだけだろうか。
どんどん憂鬱になってしまって、返却された本を整理する手が止まりがちだ。何だか効率が悪い。
気分転換でもしようかと窓の外に視線をやれば、もうすっかり暗くなってしまっていた。
窓際の席に腰掛けてぼんやりしていると、ふと視界の隅を白が掠めた。
「あ、雪…。」
窓に両手をついてじっと目を凝らせば、確かに雪が降っていた。
もしかしたら初雪じゃないだろうか。イブに降るなんて何ともタイミングのいい。
外は風もないようで、ゆっくり舞い落ちる雪はコントラストも相俟ってとても幻想的だった。
たまにはこうして一人で自然の神秘を堪能するのもいいかもしれない。
そう考えたらさっきまでの憂鬱など些細なことに思えてしまって思わず苦笑が漏れた。
しかし暖房がついているとはいえ窓際は寒い。手に息を吐きかければ窓ガラスまで白く曇った。
それを見たら少し悪戯心が働いたのか、指先が勝手にあるものを描く。
(なんか…虚しいな)
どうせ誰もいないのだからと調子に乗って描いたのは定番の相合傘。勿論下には自分と彼の名前。
じっと見つめてもなんだか自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるだけで、嬉しい気持ちはこれっぽっちも湧かなかった。
所詮私は一般生徒で、彼はテニス部期待のルーキー。釣り合うかどうかなんて聞くまでもない。
「何やってるんだろ…」
「…ほんとに何してるの」
「うわっ!?」
突如として後ろから聞こえた声に吃驚して振り返れば、そこには越前リョーマその人が立っていた。
椅子一つ分離れてはいるが、思ったよりも近い位置に越前くんがいる事実に心臓が跳ね上がる。
越前くんは、加速する鼓動を落ち着かせようと内心でパニックを起こす私を不思議そうに見ていた。
「あ、えっと、その、いつの、間に…?」
「さっきからいたんだけど。全然気付かないし。」
「ご、ごめん…。」
割と前からいたらしい。せめて声くらいかけてくれても良かったんじゃないだろうか。
しかし、とあることに気付いてはっとした。しばらく前からいた、ということはもしかしたらこの後ろにある落書きも見られて、いる?
暑くもないのにじわじわと嫌な汗を感じる。これはまずい。
見たかどうか確認した方がいいだろうか。でも仮に見ていなかったとしたら墓穴を掘る羽目になってしまう。
どうしよう。
「ねえ、さっきから隠してるそれなんだけど」
「(ばれてた!?)え、えっと、その、これは…」
「なんで隠すの?人に見られちゃまずいもの?それとも、」
俺に見られたらまずいもの?
にやりと意地悪そうな笑みを湛える越前くんに愕然とした。
この反応は、私の予想が正しければ十中八九この背後の落書きに気付いている。
しかしわざわざ見せるなんて嫌だ。恥ずかしさのあまり脱兎のごとく逃げ出して今後一切テニス部に関わらなくなる自信がある。
絶体絶命という四文字が頭の中をちらつく。そうだ、消してしまえば。見られる前に、早く―
ばっと窓に向き直り、慌てて消そうと手を伸ばせば、反対側の手がぐいっと引かれる感覚。
体勢を崩したことに焦ったが、思っていた硬い床の衝撃はなく、かわりに軽い音をたてて背後の何かにぶつかる。
それがなんだか予想はつくのに、羞恥と焦りと混乱でそのまま動くことが出来なくなってしまった。
だって、これって、越前くんが抱きとめてくれてる、訳で…。
「ふうん。アンタって言うんだ。」
「(ああ…)」
もう駄目だ。何もかも終わってしまった。テニス部見学も、私の恋も、ぜんぶ。
声色から表情を窺うことはできない。いつものように淡々とした声だった。
けれどきっと私を良くは思っていないだろう。良く知りもしない女子生徒が勝手に自分の名前で相合傘を描くなんて。
怒っているかな。それとも軽蔑した?潤みだした視界は相変わらずそこに描かれた落書きを見つめることしかできない。
「ねえ」
やっぱり静かな声。
「こんなに回りくどいことしなくても、直接言ったら叶えてあげるのに」
…え、いま、なんて?
叶えてくれる?なに、を?
「アンタってよくテニスコートに見学に来てたでしょ。」
「え、うん…」
「だから顔は知ってた。名前は知らなかったけど。」
「そう、なの?」
「確かに見学にくる人って多いけど、アンタはプレイヤーじゃなくてテニスを見てたから。」
だから覚えてた。
そう言って越前くんは崩れた私の体勢を元に戻してくれる。
その時ようやく窓ガラスに映った越前くんの顔を見ることが出来た。
どこか楽しそうな表情だった。
「まあ、ほんとは俺から言わなきゃいけなかったんだよね。」
「え…」
「だから。」
窓際まで歩み寄った彼の手が、私の落書きを消した。
さらに呆然とその動作を見ていた私にこう囁くのだ。
「こんなの描かなくても、俺だってのこと好いてるならそれでいいでしょ。」
曇
り
硝
子
に
描
い
て
消
し
た
(残ったのは君が好きっていう気持ちだけ)
Teni-tan 4 Seasons Plus+様に提出!
2012.2.8
|